✰グレコ逝く
 シャンソン界の巨星ジュリエット・グレコが、世を去りました。
 僕がこの国に住むようになってから他界した主なシャンソン歌手は、ジャック・ブレル(1978年)、ジョルジュ・ブラッサンス(1981年)、イヴ・モンタン(1991年)、レオ・フェレ(1993年)、マルセル・ムルージ(1994年)、バルバラ(1997年)、シャルル・トレネ(2001年)、ジルベール・ベコー(2001年)、ジョルジュ・ムスタキ(2013年)、シャルル・アズナブール(2018年)など。
 93歳という高齢で亡くなったグレコとともに、ここにシャンソンの歴史の輝かしい時代が、幕を閉じたのです。
 シャンソンの新曲が英語の歌詞で書かれることも少なくない今日、フランス文化の行方が案じられます。
 グレコという人は、大芸術家の例に洩れず、実に鋭敏な感受性を持っていた。
 76歳のニューアルバムに、若い世代の作詞家・作曲家を起用したこともそのひとつ(わが島倉千代子にも、ニューミュージックに挑戦した1枚がありました)。
 かつ新しいものばかりでなく、平凡極まる言葉や物に、その本来の美しさを見出していた。
 フランス・レコード大賞の席でグレコが受賞した時、お礼の挨拶で「こんな時に、最も相応しい言葉があるのよ。メルシー(有難う)。」とひとこと言った時、僕はテレビの前で仰天していました。彼女の最後の巡業公演は、「メルシー・ツアー」と題されていたのでした。
 かつて毎日放送・TBS系のテレビ番組に「音楽の旅はるか」(團伊玖磨・企画)というのがありました。海外の音楽風景を訪ねる旅で、僕も田中裕子さんや由紀さおりさんとご一緒させて頂きましたが、ある時グレコと僕を組み合わせる、という企画が立てられました。演歌好きの僕とシャンソン界の大御所の顔合わせ、との意図だったのでしょうが、彼女のギャラと折り合いがつかず、お流れになりました。残念至極です。合掌。〔2020年10月〕



✰【不思議の国フランス】マスク狂想曲

 前項に、「4月1日」と日付を明記したことに、気付かれたでしょうか?コロナウィルスの伝播とフランス政府の対応が日々変化しているため、執筆時点を明らかにしておこう、と考えたのです。予想通り(?)、数日後には驚くべき展開が生じました。
 前項で僕は、「厚生大臣は国民に『マスクは効果がないから、してはいけない』と言っておきながら、医療従事者用にマスクを大量輸入している。これは『病院にマスクが不足したら、大臣の地位が危うくなる』という自己保身である」と書きました。このご仁は、罹患者以外にマスクを売ることを薬局に禁止し、マスクを所有している個人は、医療機関に寄付するように、とさえ宣ったのです。
 医師や看護婦をウィルスから守るマスクが、なぜ一般国民には効果がないと言うのでしょう?こんな子供騙しの大嘘を、普段マスクを使い慣れていないフランス人は信じてしまったのです。
 ところが・・・前項の執筆時、フランス全土は外出禁止令下にありましたが、数日後今度は「外出禁止令が解けた暁には、公共交通機関内では、マスク着用を義務とする」と政府が発表したため、大騒ぎになりました。「何を言ってるんだ。マスクは効果がないんだろう?」・「大体、マスクはどこで手に入るんだ?」嘘がバレてしまったわけで、これは原罪(アダムとイヴが犯した罪。つまり、物事の始めに犯された、取り返しのつかない罪)とさえ呼ばれました。
 さあ大変。インターネット上に「マスクの作り方」が掲載されたり、コロナ禍で従来の商品を生産出来なくなった会社が、嬉々としてマスク製造に励んだり・・・
 いざ皆がマスクを着け始めると、今度は使用済みのマスクを路上に捨てる人が続出して問題に。これは罰金を課すことで収まったようです。
 その後マスク着用の義務化は、公共交通機関に留まらず、パリなどの大都市では外出時常時着用となりました。
 ところが、この義務化に反抗する輩も当然いるわけで、「マスクを着けて下さい」と「いやだ」が衝突するケースが相継ぎ、マスク無しで乗車しようとした客に注意したバス運転手は、殴り殺されました。
 暴力には至らずとも、マスクを快く思わない人は少なくなく、やれ「人間性が失われる」、やれ「識別がし難い」と言うのですが、その心の裏に潜んでいるのは、アジア人への蔑視でしょう。ツーリストの姿やコロナ関連のテレビニュースで、一斉にマスクを着けているアジア人を見て、「あの真似はしたくない」と思っているのです。厚生大臣の犯罪的大嘘をいとも簡単に見逃してしまったのも、実はマスクの着用を避けたかったからなのではないでしょうか。
 〔「西洋文明をもたらした彼らの船は、それとともに、征服、保護領、治外法権、勢力圏、その他さまざまの悪しきものをはこんできた。そしてついには、東洋といえば退化の同義語になり、土着民といえば奴隷を意味するにいたった」岡倉天心『日本の覚醒』〕
 マスクの義務化も、外出禁止令も、フランスでは法令を定め、違反すると罰金という体制を取るのですが、日本は飽くまで「自粛要請」であり、強制力はないわけです。
 これを、フランス人は「日本人はお上の言うことに従順だからね」と馬鹿にしたように評するのですが、それはどうも一面的な見方のようです。
 と言うのは、マスクを法令上の義務とするに際して、信じ難いコメントが聞えて来たからです。曰く「サンドイッチを食べる時や煙草を吸う時は、外して結構です」。曰く「人通りのない所でも着けなければいけないのですか?」。フランス人は、マスクの着用を巡って、幼児化してしまったようです。
 つまり、良識(自主的判断)に任せずに、上から命令すると、人間は幼稚になるのです。
 〔「軍人は小児に近いものである」芥川龍之介『侏儒の言葉』〕
 マクロン大統領が「場面場面に応じ、良識で判断すればよい」と発言したことが話題になったのは、コロナ騒ぎが始まって半年以上経った、つい最近のことです。
 コロナウィルスが僕たちに突きつけている問いは、単なる健康上の対策ではない。ひとりひとりの生き方がこそが試されているのだ、と僕は思います。
〔2020年10月〕



☆【不思議の国フランス】コロナウィルスはなぜフランスで猛威を振るっているのか?

 中国の武漢市がコロナウィルスのため隔離されたとの第一報を耳にした時、僕は「普段から電車1台、時刻通りに走らせることが出来ないフランス人に、危機管理は不可能だ。必ず最悪の事態になる」と、自分自身に非常事態を宣言しました。いざとなったら、誰も外国人を助けてはくれません。僕は自己防衛するしかないのです。
 そして2ヶ月後、現在この国は外出禁止令が出ており、食料品店、薬局、銀行以外のすべての店は閉店、公共交通機関もほぼゼロに近い状況です。
 ヨーロッパでのワースト・スリーが、1位イタリア、2位スペイン、3位フランスといずれもラテン民族であるのは、彼らは極楽トンボだからです。とにかく楽しく生きたいので、ウィルスなぞどこ吹く風、と浮かれているのです。
 日本と大きく異なるのは、ここは「接触の文化」であることで、挨拶時に握手は言うに及ばず、同性同士でも頬にキスをしますから、ウィルスにとっては、またとない伝播の機会なのです。しかもこれは、われわれがお辞儀するのと同じく体に染み付いているので、なかなか止められない。僕が「ダメだよ」と言うと、相手のフランス人は「ああ、そうか!」と答えるのでした。
 こういった「危険な下地」に輪をかけたのが、政治の拙さです。
 フランスは3月15日・22日に、全国の市長選挙が行なわれることになっていました。首都パリの市長に誰がなるかは、国政にも少なからず影響があります。当初は大統領マクロン派の候補が、現パリ市長の対抗馬として有力視されていました。ところが2月中旬に、この人物がセックス・スキャンダルで候補を辞退、慌てたのは大統領です。マクロンは、当時コロナウィルス対策に全力投球しようとしていた厚生大臣を強引に説得、彼女をパリ市長候補に据えてしまったのです。
 国民の健康よりも、政治を優先させたマクロン大統領。これでは万全のコロナ対策が、出来る筈はありません。
 そして3月15日の第1回投票は、外出禁止令が出されるわずか2日前。ウィルスを恐れる人々が投票所に足を運ばず、記録的な棄権率に。とうとう第2回投票は延期(日程未定)となりました。こういうのを「草野球」と呼びます(「ミットもない」)。
 新しい厚生大臣は、なんと「国民の半分はウィルスに罹るだろう」と宣いましたが、なるほど彼がウィルスをバラ撒いているようなものです。
 彼が国民に要求しているのは、「手を頻繁に洗うこと」と「(ウィルス感染者とおぼしき人は)咳をする時、肘で覆うこと」。そして「マスクは効果がないから、してはいけない」です。
 フランスには、日本のように風邪の予防のためにマスクをする習慣がありません。お喋りが大好きな彼らは、マスクが苦手なのでしょう。
 従って、マスクをしていることは異常であり、多くの人々が着用することは国民に不安を惹き起こす、と判断した面もあると思われます。
 僕はインフルエンザ予防用にマスクを日本から持って来ていますが、今回は敢えて、周りでちらほらマスクが見られるまでは、使用を控えました。フランス人からすれば、僕は中国人に見えるかも知れません。経済大国に成り上がったうえに、ウィルスまで輸出した憎い奴、と殴られかねないからです。
 また、イスラムのテロを恐れる政府は、マスクをテロリストが顔を隠す手段に使うだろう、と警戒したとも考えられます。
 しかし最大の理由は、医療従事者用のマスクが不足することを見込んだからです。その証拠に、現在フランスのトップ・ニュースは「如何にして国はマスクを調達し、医師に配布するか」です。
 ここで当然起きる疑問は、「患者からの感染を防ぐために医者がマスクを着用することが必須であるならば、なにゆえ市民は『マスクは効果がないから、してはいけない』か」、です。
 これは、医療従事者にマスクを確保するために、厚生大臣がついた嘘です。そしてこの、子供騙しの大嘘を、普段マスクというものを使い慣れない国民の大部分が、信じてしまったのです。
 医者用のマスクの不足を避けるために、一般人はマスクをしなくて良い、と言うのは、実は WHO (世界保健機関)の論法でもあります。
 医者がウィルスに罹って、治療に従事出来なくなったら困る、というのには一理あります。しかしこれは、物事の本質を見誤った議論です。
 つまり医療権威側は、一般人がマスクをすることによってウィルスの拡散を防ぐ可能性を拒否し、最初からウィルス感染者が「マスクをしないで」爆発的に増えることを前提にした上で、それに対処すべき医療機関の方を心配しているのです。
 厚生大臣は、「たくさんの国民が死んでも、それはウィルスのせいだ。だが病院にマスクが不足して医療が出来なくなったら、自分や政府が責められる」と考えたのでしょう。
 僕はウィルスの伝播がフランスに先行したイタリアの様子を観察して、早目に自己防衛の行動を起こしました。伊で食糧の買い溜めが始まると僕もそれに倣い、仏で外出禁止令が出る前に、人と会うなど街での用事をすべて済ませてしまったので、慌てることがなく、お蔭様で穏やかな心持で過ごしています。
 容易に想像される通り、すべての音楽会も中止され、演奏家も自宅待機ですが、フランス国立管弦楽団のメンバーが、インターネット上で未曽有の挑戦をしています。あのラヴェルの《ボレロ》(編曲版)を、各自が個別に演奏しながら、テクノロジーを利用して、壮大な合奏を果たしているのです。音楽を分かち合うことで、この困難を乗り超えようという、フランスのアーティストたちの心意気をお聴き下さい。
   https://www.francemusique.fr/musique-classique/le-bolero-de-ravel-les-musiciens-du-national-le-jouent-de-chez-eux-pour-vous-82706
〔2020年4月1日付〕



☆「ピカソと戦争」展

 ご存知のようにパブロ・ピカソ(1881~1973)はスペインに生れたものの、フランスで活躍した画家だけに、パリでも様々なテーマで彼の画業が紹介されていますが、「ピカソと戦争」という展覧会が、ナポレオンの眠るアンヴァリッド(廃兵院)内の軍事博物館で開かれたのには、意表を突かれました。
 ピカソは母国では兵役を免除されており、フランスでは帰化を拒否されたため、この国ではあくまで外国人で、兵隊を経験することはなかったし、戦意高揚の絵を描かされることもありませんでした。しかしスペイン政府の委嘱によるあの《ゲルニカ》(1937)が、ピカソを戦争に抗する平和主義のアーチストとして、世界に知らしめることになったのです。
 また《朝鮮における虐殺》(1951)は、朝鮮戦争における銃殺場面を、ゴヤとマネの描いた類似シーンに霊感を得て表現したもので、見る者を震い上がらせます。
☞ http://lecanuet-col.spip.ac-rouen.fr/IMG/pdf/massacre_en_core_e.pdf
 つまり、彼が描いたのは勇ましい戦争画ではなく、戦争の狂気、戦争の悲惨さだったわけで、それがあの一連の「オリーヴの枝を咥えた鳩」に昇華して行くのです。
 この展覧会で面白かったのは、第2次大戦中にピカソが書いた戯曲『尻尾を掴まれた欲望』(1941)が、自身のイラスト入りで陳列されていたことです。しかもこの芝居は、ユダヤ人の詩人・画家マックス・ジャコブが1944年にナチスの収容所で死亡した時に、詩人への敬意を表するため、パリの某氏宅で私的な上演がなされた。その際の演出家がアルベール・カミュで、俳優はピカソの恋人ドラ・マールや、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワールなどだったと言うのですから驚きです。そして今回の展覧会を機会に再演され、幸い僕は見ることが出来ました。
 これはナチス支配下のパリで、人々が飢えや寒さに苦しむ様子をシュールレアリスム風に描いた茶番劇で、ここではサルトルやボーヴォワールが演じているという設定になっていたため、当時の知識人や芸術家たちの絆がはるかに偲ばれました。              
☞ https://www.plkdenoetique.com/le-desir-attrape-par-la-queue-de-picasso/
〔2019年11月〕



☆【ニッポンの評判】「NHKスペシャル」がフランスで放映されると、どう内容が
  変わるか?


 フランスのテレビで「東京、その大異変と復興」と題するドキュメントを見て大いに感動させられましたが、クレジットを確認すると、ディレクターはフランス人なのに、「岩田真治ディレクター作品の翻案」、つまり、日本人が作ったドキュメント映画を、フランス人が編作したものである、と明記されています。
 なぜそんなことが行なわれたのだろうかと調べてみたら、これはもともと2014年に日本で放映された「NHKスペシャル『カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~』」を、フランスのテレビ用に作り直したものであることが判明しました。原作は、東京を撮影した白黒フィルムを世界中から収集してカラー化、関東大震災と東京大空襲という2度の大異変から不死鳥のごとく甦った、東京の100年を綴ったドキュメントでした。
 なるほど、それをそのまま見たのではフランス人には分り難い個所もあるでしょうから、この国の人が編集し直して、適切なナレーションを付ける、というのはグッド・アイデアです。事実、この新ヴァージョンは、NHKが共同製作者として名前を連ねています。積極的に協力し、お墨付きを与えた、ということでしょう。
 ところが、NHKスペシャルの方は73分(DVD)なのに、フランス版は90分と、後者の方が20分近く長いのです・・・もしかすると、フランス人の視点から再編集されたものは、かなり内容が異なるのではないかと思い、DVDを取り寄せてみると、案の定映像もナレーションも、随分変化しているのです。「日本を見るフランス人の眼」がどのようなものであるかを知る良い機会ですので、以下に主な違いを列挙してみます(ナレーションは要約)。

①〔Nスぺ〕は大正6年の「東京見物」というフィルムから始まっているが、〔仏
  版〕は「第1章 江戸から東京へ」となっており、日本の西洋化の発端がきち
  んと示され、番組の最後に語られる結論と響き合っている。

②戦争の扱いが大きく異なる。
 〔Nスぺ〕:「日本は10年ごとに対外戦争を繰り返していた」
 〔仏 版〕:「西洋諸国に倣って、近代的軍隊を整備し、植民地への拡張を目指
        した」
 満州事変について
 〔Nスぺ〕:「中国大陸で日本の関東軍が勢力を広げ、海外国家である満州国
        の建国が宣言された」
 〔仏 版〕:「偽の爆破事件を工作し、満州を占領して建国したが、国際連盟
        がこれを認めないと脱退した」
 日中戦争について
 〔Nスぺ〕「軍国主義が忍び寄り、モガも戦争に協力するようになった」
 〔仏 版〕「ドイツは満州国を認め、日本の拡大政策を賞讃した(映像:日本の
       男・女子中学生たちが、右手にナチの鉤十字旗、左手に日の丸を
       持って振るショッキングなシーンあり)」
 南京大虐殺について
 〔Nスぺ〕:(触れず)
 〔仏 版〕:「日本軍が行なった、現代史の最も怖ろしい虐殺のひとつである」

③戦後の日本に対する〔仏版〕固有のコメント。
 ・「共産主義を敵とし、ソ連と冷戦に入った米国にとって、日本は大切な同盟国
   となった」
 ・「三島由紀夫事件は、経済的繁栄のみを目指す日本社会への、最後の抵抗で
   あった」
 ・「東日本大震災の後、原子炉の再稼働の中止、また平和主義を日本の基本的
   な価値とした憲法9条の改正への反対などの、大規模なデモが起こった」

④結びのナレーションは、共に2020年の東京オリンピックに言及しながら、内
 容の重さが甚だしく異なる。
 〔Nスぺ〕:「来るべき2020年の東京オリンピック・パラリンピック、そ
        してさらにその先の未来が、東京に何を作り何を残すのか、カ
        ラーでよみがえった100年の歩みが問いかけています」
 〔仏 版〕:「オリンピック開催への東京の人間の熱意は、1964年のもの
        から程遠い。彼らの一部は、未来へ向けての競争が果たして適
        切なのか、自問している。日本人がこの100年間、棚上げし
        て来た概念~環境との関係、生活の質、個人の成熟、和の精神
        など~が、東京人の関心の中心になって来ている。これらの問
        いかけには、いかなる西洋のモデルも真の解決をもたらさない。
        日本の近代化への飛躍の中で生まれた東京という都市は、この
        『近代化』という概念に、どういう意味を付与すべきであるのか、
        自問しているのである」

 明治、大正、昭和、平成、そして令和。日本人がこれからどう生きるべきかが、今こそ問われているのだ、と僕は思います。〔2019年4月〕



☆《三文オペラ》とチャップリン

《三文オペラ》(1928)と言えば、ベルトルト・ブレヒトの台本、クルト・ヴァイルの音楽で有名な音楽 劇。《マック・ザ・ナイフ》の歌は、ご存知の方も多いでしょう。諧謔味に満ちたヴァイルの音作りは、音楽史上でも特異な魅力を放っていま す。登場人物は泥棒、乞食、娼婦、それに悪とつるんだ警察官という、どうしようもない人たちですが、彼らを批判するのではなく、こうした 貧民を生み出した社会を風刺することこそが、作者ブレヒトの視点なのです。ブレヒト自身が1949年に創立したベルリナー・アンサンブル (演出:ボブ・ウィルソン)がこの傑作を上演するというので、楽しみに出掛けて来ました(10月27日、シャンゼリゼ劇場)。すると、主 人公たる泥棒の親玉メッキー・メッサーが、何とチャップリンになぞられているのです!メッキーが警視総監の娘ルーシーと手を繋いで刑務所 から逃げ出す場面は、チャップリンの《モダン・タイムス》(1936)のラスト・シーンで、放浪紳士とポーレット・ゴダール演じるところ の小娘が、遙かな道を共に歩いて行く哀感こもった詩情に、また再び捕まったメッキーがいよいよ縛り首になる直前に尊厳を持って演説するく だりは、《チャップリンの独裁者》(1940)でヒトラーに抗した、あの感動的な演説シーンに重ねられていました。演出家ボブ・ウィルソ ンは、このような仕掛けによって、階級社会のからくりを風刺したブレヒトのメッセージのみならず、《モダン・タイムス》で人間を奴隷に貶 めた機械文明を批判し、また《チャップリンの独裁者》で独裁権力を揶揄したチャップリンの訴えを、同時に観客に提示したのです。それにし ても、これらの演劇や映画が作られてから100年近く、その後悲惨な第二次大戦も経験したというのに、世界はますます貧富の差が激しくなり、スマートフォンの奴隷がフラフラと道を歩き、シリアでは独裁者が多くの人の命を犠牲にしている・・・一体、いつになったら人類は賢く なるのだろう、と帰り路に思い巡らしていたら、あの懐かしい歌が心に甦って来るのでした。「The answer, my friend , is browin’ in the wind. The answer is browin’ in the wind.」(《風に吹かれて》、ボブ・ディラン)



☆国立図書館で大規模な「フリーメイソン展」

フリーメイソンもここまでオープンになったか、と思わされる展覧会が、パリの国立図書館で開かれています。中世の石工(メイソン)の職業組合からどのように思想団体が生まれたか、フリーメイソンの集会で用いられる各種の道具、フランス革命以来の共和主義に於けるメイソン思想の影響、そしてモーツァルトのオペラ《魔笛》に表現されたイニシエーションの儀式など、フリーメイソンの「いろは」が手際よく展示されています。ゲーテ、シャガール、モーツァルトは、もはやメイソン思想の知識なしには、十全に理解出来ません。この機会に、是非ご覧になったら如何でしょうか。7月24日まで開催。次のサイトでも見ることが出来ます。

........................http://expositions.bnf.fr/franc-maconnerie/



☆《シェルブールの雨傘》半世紀後に舞台化

1964年のカンヌ映画祭でパルム・ドールに輝いた、ジャック・ドミー監督、ミシェル・ルグラン音楽のミュージカル映画《シェルブールの 雨傘》が、このほどパリのシャトレ座で舞台化されました。ほとんどのミュージカル映画が、ブロードウェイのヒット作の映画化であるのに対 し、これは映画として作られた作品を舞台に移した、珍しい例と言えましょう。ただし、舞台装置らしい装置も殆どなく、映画そのままの時間 で進行するので、映画を見ていない人には、場面転換が唐突に感じられたかも知れません。普通のミュージカルと異なり、全セリフが歌われる という革新的な手法に、映画発表当時は全世界が驚愕したものでした。昔と比べ多少フランス語が分かるようになった今聴くと、ほとんどのセ リフが会話と同じテンポで歌われるので、違和感がないことが分ります。またそれだけに、主題歌 《 I Will Wait For You (英語版題名)》 の堰を切ったようなメロディーが生きるのです。今回の舞台では、ナタリー・デセイ(母親役)やローラン・ナウリ(カッサール役)といったオペラのスター歌 手たちが、ミュージカルにそぐわない大味の演技で興醒めだったのに対し、オーディションで選ばれた現役高校生のマリー・オッペール(主役 ジュヌヴィエーヴ)が、現代っ子らしい存在感で輝いていました。しかしこの夜の最大の功績者は、オーケストラを情熱を込めて指揮した、 82歳の青年、ミシェル・ルグランその人で、聴衆の惜しみない拍手を浴びました。〔2014年10月18日付〕



☆《蛍の光》の歌詞に見る日本人の死生観

地震・津波・放射能汚染といった大惨事に対する日本人の態度が、極めて沈着であり人間の尊厳を感じさせる、とフランス人は賞讃を惜しみませんでしたが、それが何に由来するかを理解しているフランス人は、殆ど居ません。言うまでもなく、彼我の自然観・死生観の違いによるもので、これは永年の滞仏生活の様々な場面で、僕が経験して来たことでした。たとえば、《蛍の光》の歌詞の違いを日仏で比べてみると、「別れ」というものに対する感性の差が明らかになります(《蛍の光》を純日本製の歌だと思われている方も居るかも知れませんが、原曲《遠き昔》の旋律はスコットランド古謡であり、原詩はロバート・バーンズがフリーメイソンの集会のために作ったものであるらしいことは、拙著『フリーメイソンと大音楽家たち』〔国書刊行会〕で述べました)。日本語版(作詞者未詳)は「いつしか年も、すぎの戸を、明けてぞ けさは、別れゆく」と、決然としているとまでは言えないにしても、別れに対する覚悟は感じられます。ところがフランス語の方は(《別れの歌》、スヴァン神父作詞)、「望みなしに別れなければならないのだろうか?戻って来るという望みなしに?いつか再会するという望みなしに?兄弟たちよ、これは一時の別れにしか過ぎないのだ」と、敢えて言えば「往生際の悪い」心情が発露しています。彼らは別れというものを、受け入れられないのです。ましてや死という決定的な別れを、生と峻別した絶対的にネガティヴなものとして捉える、西洋の二元論の現われが、ここにはっきりと見て取れます。〔11月7日付〕



☆エディット・ピアフ《私は後悔しない(水に流して)》秘話

不世出のシャンソン歌手、エディット・ピアフの命日(10月10日)を控え、ピアフの大ヒット曲《私は後悔しない》の作曲者シャルル・デュモン が、この歌にまつわる秘話をテレビ番組で紹介しました。デュモンの作曲するシャンソンの数々を、それまでピアフが毛嫌いしていたのは有名な話で、 《私は後悔しない》の作詞家ミシェル・ヴォケールが、この歌を見せるためにピアフとアポイントメントを取った時、デュモンは不賛成でした。約束の 前日、ピアフが秘書に「明日の約束には誰が来るの?」と尋ねると、「ヴォケールと・・・デュモンです」の答に、「とんでもない。直ぐに約束を取り 消しなさい!」ところが、秘書がいくら電話を掛けても、二人は捉まらなかったのです。翌日、ヴォケールとデュモンがピアフ宅を訪れると、秘書が 「マダムは体調が悪いのでお目に掛かれません」と言うので、デュモンはこれ幸いと帰りかけたところ、家の中から「来たのなら、入れて上げなさい」 というピアフの声。そこでデュモンが《私は後悔しない》を歌って聴かせると、「本当にこの歌を作曲したのは貴方なの?もう一度歌ってみて!」とい う意外なお言葉。そこで再びデュモンが歌うと、「お若いの、もう心配しなくていいのよ。この歌は世界中で聴かれるようになるわ。貴方に、一生付き 纏う歌になるのよ」。長年の不摂生がたたり、麻薬やアルコールの力も与って健康状態が悪化していた当時のピアフは、「歌うのは自殺行為」と医者に 言われながら歌い続け、何度も舞台で倒れては救急車で病院に運びこまれ、「ピアフはもうおしまいだ」と言われていました。《私は後悔しない》は、 文字通りピアフ復活の歌となるのです。「私は後悔しない。過去などどうでもいい。私はゼロから出発する。なぜなら私の人生、私の歓びは、今日貴方 と共に始まるのだから。」この歌はシャルル・デュモンを一躍有名にし、二人は恋人になったのでした。[2010年10月5日付]



☆サッカーの試合で野次られた《ラ・マルセイエーズ》

フランス国歌《ラ・マルセイエーズ》がサッカーの開会式で野次られたのは、これが初めてではありません。最初は2001年、かつてフランスの植民地であったアルジェリアとの試合で、次は翌年、独立運動が盛んなコルシカ島のバスティア市との国内決勝戦で、2007年には、昔フランス領だったモロッコとの試合で、そして今回はやはり以前フランスの支配下にあった対チュニジアの親善試合でした。チュニジアのサポーターたちが、《ラ・マルセイエーズ》演奏中に口笛で野次ったのです。度重なる事件に業を煮やしたのでしょう、スポーツ大臣は「今後《ラ・マルセイエーズ》が野次られた場合、親善試合は即中止とする」と発表しました。しかし、実際には観衆の安全の確保などの問題があり、試合の中止は無理だろうと考えられています。フランスではすでに2003年に,「公の場で国歌を冒瀆した場合には懲役6ヶ月と罰金を課す」という法律が成立していながら、適用されたケースはありません。個人と国との関係を問う、「国歌」という甚だ微妙な問題に関しては、政府の建前は建前として、現実には寛容を持って対処するところに、僕はフランス人の賢さを見ます。



☆スカートをはけないマドモワゼルたち

僕が世の中に疎いことは、自分で承知していますが、最近フランスのテレビのドキュメンタリー番組で見たフランスの世相には、さすがにビックリしました。昨今のフランスの女子高校生は、スカートをはけなく(「はかなく」ではなく)なっている、というのです。フランスでは、女性が仕事の場でパンタロンをはくようになったのは、70年代でした。こうしたフェミニズムの結果として、女子学生たちも男子と同じくパンタロンを着用するようになったため、たまにスカートをはいて登校すると、男子生徒たちに「尻軽娘」とからかわれるのだとのこと。ある高校では「スカートの日」を制定、マドモワゼルたちが心配なく女の子らしい格好が出来るようにしたのでした。僕は以前から、「なぜフェミニズムは、女性が男性と同等になることばかりを追求して、より女性的になることを主張しないのだろうか」と疑問に思っていましたが、このスカートを巡る現状は、これまでのフェミニズムのパラドックスを示しているようです。[9月6日付]



☆稀に見るユニークさのナント国立文化会館

フランスの北西部にあるナント市の国立文化会館は、そのユニークさで評判になっていますが、この眼でそれを確かめることが出来ました。文化会館の名前自体が、「ユニークな場所(le lieu unique )」と言うのです。建物は、有名なビスケット製造会社「LU」の旧工場を改造したもの。入口を入ると、そこがカフェの一角になっているのに、まず驚かされます。カフェの隅にはアップライトのピアノが置いてあり、母親に連れられた子供が、下手なピアノを弾いています。隣のスペースは本屋ですが、本は机の上に平積みして表紙が見易いようにしてあり、本の内容を紹介した手書きのメモが、クリップで留めてあったりします。1階の奥は広い展示会場で、無料で展覧会が見れます。芝居や舞踊やコンサートは、さらにその奥の専用ホールで開かれ、有料です。託児所も完備していますし、展望台まであります。しかし一番ビックリするのは、なんとトルコ風の蒸し風呂があることで、女性に人気があるようです。要するにここは、市民が気楽に出入り出来る空間であり、そうした寛いだ雰囲気の中で、絵を見たり、本を買ったり、芝居を楽しんだりする総合施設なのです。パリから2時間、ナント駅を降りると目の前にありますから、一度訪れられたら如何でしょうか。



☆イヴ・クラン---画家・柔道家・薔薇十字団員、そして作曲家

開館30周年を迎えたポンピドゥー・センターで、フランスの画家イヴ・クラン(1928-1962)の大規模な展覧会が開かれました。深いブルー一色に塗られたモノクロームの絵は、誰でもきっと見覚えがあるはずです。秘密結社・薔薇十字同志会(拙著「フリーメイソンと大音楽家たち」、P.22、334、364参照)の団員でもあったクランの芸術(クランが基本色とした青色、薔薇色、金色は、薔薇十字同志会を創立したマックス・ハインデが結社の象徴とした色でもある)は、「存在(ある)」と「非存在(ない)」の境界を巡るものでしたが、今回の展覧会には、クランが作曲した《交響曲「単音-沈黙」》(1947-1961)の楽譜が展示されていました。これは3本のフルート、3本のオーボエ、3本のホルン、20人の混声合唱、10本のヴァイオリン(5部に分割)、10本のチェロ(同)、3本のコントラバスのための作品で、ニ長調の主和音(D-F#-A)が5分または7分間ずっと鳴らされ、その後44秒間の沈黙が続くものです。これはそのまま、クランのモノクロームの絵画と白いキャンバスに対応します。「色即是空」という言葉が想い起こされますが、クランは24歳の時に一年間、日本で柔道の修業(黒帯)をしているのです。全裸の女性の身体にブルーの絵具を塗り、キャンバスに体を押し付けて跡を留める、あの有名な「パフォーマンス」の折にも、こうしたクランの音楽が演奏されたのでした。



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更新:2021.03.06

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